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神として、神なる宇宙へ、神なるOMを放ちなさい

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(全文テキスト)

神として

神なる宇宙へ

神なるOMを放ちなさい

 

あなたがそれを選ぶなら

人類の神実現は

約束しよう

 

マハヴァター・ババジ

 

 

私は、聖者の道を歩む者を求めている。地獄さえ神の愛の結晶だと実感できる存在を。

 

それは、決して難しいことでは無い。

 

詳しく話して行こう。

 

あなたは、今、地球人類が、どの道を進んでいるか分かっているだろうか。

 

その前に、究極の真実を伝えよう。

 

あなたが自分だと信じているものは、いわゆる「体験の主体」だ。そしてあなたが世界だと信じているものは、あらゆる体験を可能とする事象、すなわち「体験事象」だ。

 

それらは、「唯一なる完全な意識」に依って、「唯一なる完全な意識」の内側に映し出されている「意識の干渉現象」である。

 

その意味で、「体験事象」のことを「相対事象」と呼ぶことも可能だ。多くのものは、「宇宙」と呼んでいる。広義の宇宙だ。

 

では、何のためにこの壮大な「体験事象」が生み出され、展開しているのだろう。

 

それは、「唯一なる完全な意識」が、自らの無限性と完全性を、「体験を通して」堪能するためだ。

 

そして、その歓喜の爆発によって、この「体験事象」は「大いなるひとつイノチ」として、瞬瞬と永遠に展開している。

 

この「唯一なる完全な意識」こそ、唯一のリアルであり、それは全ての源であり、すべてを内包している本体である。

 

これのことを、イエスは父と呼び、老子は道(Tao)と呼び、その他、実に多くの呼び名が付けられてきた。ここでは、それを神と呼ぼう。

 

「神が、神自身の無限性と完全性を、体験を通して堪能し、歓喜している。」

 

これが私たちの真実である。地球の科学も、いずれ間もなく、この真実を完全に受け入れることになるだろう。

 

その意味で、あらゆる瞬間が栄光の瞬間であり、あらゆる存在が祝福の対象である。

 

そして、すべては、この「唯一なる完全な意識」たる神と不可分であり、神に内包され、神を内包しているのだ。一体と言っても良い。丁度、海と波が常に一つであるように。

 

すなわち、この宇宙に展開している全ては、常に「永遠の中今」に同時に展開している。

 

あらゆる存在は、常に、そこを中心にした宇宙において、「大宇宙曼荼羅」を完成させている偉大な存在であり、どんな現在地の誰であれ、最も相応しい場所に、最も相応しい姿で、常に存在を差し出しているのだ。

 

この宇宙は、常に今、たったひとつの偉大なるイノチとして、究極レベルに完全であり、完璧なのだ。

 

あなたは、今、「その目」で全てを観ることができるだろうか。「その感覚」で全てを体感することができるだろうか。

 

この真実の実感を生きるもの、生きようとする者を、私は求めている。

 

その氣があるなら、続きを読みなさい。

 

冒頭で私は、地獄さえ神の愛の結晶だと実感できる存在、すなわち、聖者の道を歩む者を求めていると言った。万人から攻め裁かれても、自他を傷つけず、変わらずに愛と平安に在る存在だ。

 

それは、その存在こそが、「地球という試み」を完成させる鍵を握っているからである。

 

今、地球人類が、どの道を進んでいるかを、正しく見詰めることは容易い。しかし、その真意を実感できている者は、まだ少ない。

 

今人類は、一部の支配層による超監視社会に向かっている。いくつかのグループが勢力争いをしているが、その実、一人ひとりは、赤鬼に食べられるか、青鬼に食べられるかを選ぶ自由しか残されていないが如くだ。もしくは、その現状を敢えて見ず、日々目の前の幸せに集中する自由も残されているが。

 

もしくは、何とかこの流れを、本来の愛と調和に満ちたものに復帰させようと献身する者もあるが、実際にこの流れを止めることは、とても難しい。何故なら、この現象は、特定の支配層の意志によるものではなく、人類の意識の総和によってもたらされているからだ。

 

人類が、神仏天地、山川草木、すべての生きとし生けるものに対して、躊躇無く行っている行為と、それを支える内的意識状態を見れば、その鏡としての現象が、全くその通りに人類に与え返されるのは、余りにも当然だ。

 

要は、「自分たちの為であれば、他の何をどの様に扱っても問題無い」という意識だ。日々、尊い命を、大いなる必然にも依らぬまま、人間だけの都合によって、感謝もそこそこに貪っている。平氣で拘束し、活動に制限を加え、効率よく管理し、都合次第でバラバラにして喰らう。

 

天地が生み出した理想的な地形や生態系にも、全く同様の意識状態で、平氣で立ち入り、配慮もそこそこに踏みにじっている。自分たちの都合が、常に第一優先なのだ。

 

それを完全に肯定したところから、あなたがたの文化は形成され、日常が展開している。最早、人類の総和としては、全くこの通りである。

 

当然、同じ事があなたがた一人ひとりに与え返される。それが、今人類が体験している現実だ。あたかも一部の支配層によってもたらされているかのような姿で。

 

つまり、すべては、人類の意識の総和が、そのまま日常に映し出されているに過ぎない。

 

一部の支配層でさえ、この人類的必然を正確に顕わすために重要な役を引き受けている偉大な存在だ。すべての存在が、全く同様にその通りなのだ。

 

今という時代において、人類が「地球という試み」を最も健全に完成させる道があるとすれば、それは、「人類の意識の総和」を変容させることである。

 

その為の鍵を握っているのが、「聖者の道を歩む者」なのだ。

 

私は、その存在を求めている。

 

七つの海が実は一つであるように、人類の意識も、一つに繋がっている。だから、一人の意識の変容は、常に全体に波及している。

 

しかし、それを「一人」として行っていては、「意識の総和」に対して、余りにも儚く小さい。

 

では、どうすれば良いのか。

 

忘れてはいけないのは、これは、「問題を解決する」というプロセスでは無いということだ。常に遍満する絶対的完全性を理解し、見詰め、体感できている必要がある。

 

伝えようとしていることは、伝わっているだろうか。

 

「人類の意識の総和」が愛と調和に満ちたものになるには、人類の内の誰かが、人類を代表して、「人類の意識の総和」を自らのものとして受け入れ、神仏天地の無限なる愛と光を全身全霊で受け入れる明確な意志を表明することだ。

 

その意志表明が「人類の意志の総和」となった時、一人ひとりがこの究極の真実に復帰することになる。

 

既に広く識られている通り、今の地球には、地球にカルマもダルマも無い、いわゆるサポーター達がたくさん存在している。神の化身たるアヴァターや聖者をはじめ、宇宙由来の存在達だ。

 

特に、アヴァター達は、一瞬で「人類の意識の総和」を変容させることが可能である。宇宙由来のサポーター達の多くも、かなり大きな影響をもたらすことが可能だ。

 

しかし、彼らはある一線を超えることが許されていない。それでは、「地球という試み」を妨害することになるからだ。

 

あくまで、地球人類が、自分たちの意志によって、明確に「それ」を発願し、体現する必要があるのだ。

 

それは、とても易しいことであるが、しかし同時に、全く生易しいものではない。

 

何故なら、「体験の主体」たる個別化した意識は、物性の側に在り、自己が「すべてと一体の無限で永遠の存在」であることを忘れている。これが、エゴとそれに基づいたマインドの正体である。

 

それは、この「宇宙という試み」にとって無くてはならない必然であると同時に、「何としても、有限な自己の正当性を示そう」と、常に必死である。

 

「人類の意識の総和」が、この物性の迷妄に没し切っている以上、「人類の意識の総和」を真実の光に振り替えようとすることは、「その存続を脅かす」ことになる。「それ」は自己の存続を懸けて、もの凄い勢いで襲いかかってくる。

 

あなたは、それを、またとない最高の機会として受け入れ、そのすべてを死ぬほど愛することができるだろうか。

 

あなたが、「私は全てと一体の無限にして永遠の生命である」という真実の実感に在れば、それは容易い。

 

何故なら、「その機会」こそが、待ちに待った「最高の機会」であるからだ。何故なら、その時こそ、すべてが愛に振り替わる「必然」が生じようとしている瞬間だからだ。

 

私は、「地球という試み」の最終章を迎えている今という時代に、あなたがそれを選ぶ時に、あなたに既に「無限の平安と永遠の生命の実感」が備わっているためにこそ、「アートマ・クリヤ・ヨーガ」を人類に届けたのである。

 

常に与えられている無限の自由の中で、あなたは何を選ぶだろうか。

 

私は、既に、全てを伝えているが、全てを語ったわけでは無い。今私があなたがた人類に投げ掛けているこの交流は、私からの一方的な言葉では終わらない。

 

私からのこの投げかけを受け取り、言葉に変換している者は、既に私の導きに在る者だ。私は、その者にこう伝えてある。

 

「あなたの知る者の中で、最も智恵深く、かつ、質の高い質問ができる者に、この様に尋ねよ。『あなたの知る者の中で、最も智恵深く、かつ、質の高い質問ができる二十代の若者に、このメッセージを届け、その者から、このメッセージへの感想、疑問、反論、共感など生じた全てを、箇条書きで良いから受け取り、届けて欲しい。』と尋ねなさい。」と。

 

私は、その「定められた者」からの問い掛けに、ひとつひとつ返答をする。

 

それを、必要な限り何度も繰り返す。

 

そして、「その者」からの「問い」が消えて無くなった時、私から人類に投げかけたこの交流は、一先ずの完成を迎える。

 

さあ、いよいよすべてが明らかになる「真実の瞬間」を歩む準備はできているか。

 

 

私は、地球に縁深き全ての魂が「神実現」を果たすまで、この星に留まることを選んだ者。

 

マハヴァター・ババジ

 

2024年6月2日

 

 

 

 

【Makiとババジの最初のやり取り】 (2024年6月3日夜〜翌朝)

 

(Maki)

P3 (疑問)

・ (私が求めているのは)万人から攻め裁かれても、自他を傷つけず、変わらずに愛と平安に在る存在だ。

→ 私は万人から攻め裁かれれば、傷つき、相手を責める気持ちが湧いてきます。感情が反応してしまうのです。

しかし感情と向き合い、書き出す事で数日経てばそのような事も忘れて、その相手のことはさほど気にならなくなります。

その感情が反応した体験事象を通し、自分の痛みに目を向ける事で相手の痛みにも気づき、許しが起きる。究極、自分を許せた分だけ、他者に対しても許しが起き、物事を平安な視点から受け取ることができるのだと思っています。

そんなプロセスを自分の中で繰り返しています。

このようなやり方で私の意識は自他を傷つけることのない意識に変容していくことができるのでしょうか?

 

 

(ババジ)

あなたは、限りなく素晴らしい。そのことを識っていることは、とても重要だ。そして、その様に在れることを、神に、宇宙に、大いなるものに、ずっと感謝していたら良い。

 

あなたの重ねているアプローチは、人が自らなし得るものの中で、最高のものと言える。

 

まず第一に、あなたはとても正直である。起きているありのままを、評価や判断なしにそのまま受け入れている。このことは、地球人類の平均的意識状態では非常に難しい。あなたには、本物の自己受容が既に培われている。

 

次に、生じた「反応」に対してのアプローチが、実に見事である。「意識の眼差しを注ぐ」という愛の注ぎ方が、自然に身に付いている。いかなる状況下であれ、評価や判断なく、ただ美しく意識の眼差しを注ぐことができれば、愛以外の全ては自然に消えて行く。あなたは、この愛の神秘を、体験を通して既に身に付けている。

 

更に、「観察」と言う愛から、「氣付き」にまで至っている。「氣付く」とは、「氣のレベルに達する」ということであり、「神との接点」を意味する。この力は、人間的意識領域を一つ抜け出したところにある。体験事象のドラマ性は非常に強力であり、そこから抜け出すことは容易ではない。

 

あなたに、偉大な師との深い縁が既に結ばれており、現象世界より格段に高い次元の意識エネルギーが充分に注がれてきたことが分かる。

 

あなたは、その稀有な体験と授かったものを潜在させたままに置かず、日々存分に活かしながら愛を磨き続けている。そのことが、何より素晴らしい。

 

それは、永遠に続けられるべきとても大切なプロセスなのだが、いくらそれを重ねていても、ここで伝えている次元における「万人から攻め裁かれても、自他を傷つけず、変わらずに愛と平安に在る」という領域に至ることはない。

 

それは、どれだけ高い山に向かって歩みを重ねていても、空そのものには決して成れないのと良く似ている。

 

そこには、どうしても、神の恩寵が関わってくる。あなたは、その、全ての本源たる大いなるもので、自己の全てを満たしたいと切願するだろうか。その大いなるものに、自己の全てを投げ入れ一つになりたいと切願するだろうか。

 

過去に多くの偉大なヨーギたちが、この最後のプロセスを希求し、私を訪ねてきた。そして、準備ができている者たちが、クリヤヨーガのイニシエーションを受け取って来たのだ。

 

あなたは、それを望むだろうか。

 

 

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(Maki)

P4 (疑問)

・ 「自分たちの為であれば、他の何をどの様に扱っても問題無い」という意識

→ 少し文章の意味合いとは変わってしまいますが、私は自分を蔑ろにして、他者を優先したことで自分自身が苦しくなってしまったことがあります。

自分にとっての愛情の示し方の理想が高く、相手にそれを与えることこそが愛だと思っていました。そしてそれを完璧にできなかった自分に対して、自分自身が責め立てるのです。

他者を満たす事にばかり目がいき、自分を蔑ろにして、気がつけば自分の心と体がボロボロになっていました。

今は自分を満たす事を優先し、溢れた愛が他者にも意識として伝われば良い、そのような考え方になってきています。それはその他者もまた自分の人生を自らの力で歓喜の爆発へと変容させていくことができるという確信があるからです。ただ、あと一歩、苦しいままで誰かの役に立とうとしなくていい、自分だけの人生を踏み出すのに、さらなる気づきが必要な気がしています。

今の私に必要なメッセージがあればいただきたいです。

 

 

(ババジ)

あなたは、限りなく素晴らしい。そのことを、何度でも言葉にして伝えなくてはならないほどに。

 

あなた自身が既に言葉にしている通り、メッセージの中の「「自分たちの為であれば、他の何をどの様に扱っても問題無い」という意識」と、あなたがここで扱うことを望んでいるテーマは異なる。

 

いずれも大切なものであり、ここではそれぞれをきちんと分けて扱おう。

 

メッセージの中では、「人類に共通して横たわる致命的な感覚障害」について扱っている。このメッセージは「全ては、実は自分自身なのだ」という真実に氣付いているだろうか、という人類への問いかけであり、その氣付きがないことで、地球に今際限なく積み上げられているほぼ全ての問題は生まれている事実を分かち合っている。

 

あなたはよく理解できるだろう。

 

次に、あなたの学び深き体験と、核心を突く問いかけについて扱おう。

 

実は、あなたが当初他者に発揮しようとした愛、あなた自身がボロボロになった愛も、人類に遍く横たわる「自分と他人が別々に存在するという錯覚」に基づいている。

 

その錯覚に基づいて、「貪るもの」と「与えようとする者」とが存在しているのが、今の地球人類の姿だ。

 

ここでも、あなたは「氣付き」の領域を発動させ、非常に深い学びに繋げている。それは、実に、「核心」のすぐそこまで至っている。

 

一言で言えば、「自己の拡大」がどのレベルに達し得るのか、というのがテーマである。

 

実は、この宇宙には、ただ一つ、「唯一なる完全な意識」が満ち満ちているのみである。この「究極の真なる意識」を体験することが鍵なのだ。

 

そこに至れば、全宇宙的な視点から「全てにとっての最善」が、常に「大いなる必然」として自己の最奥から吹き上がってくることになる。そこには、個人としての考えや感情、経験や記憶などに依らない、圧倒的な「真なるもの」が吹き上がってくるのだ。

 

体現者は、それが究極レベルに「真なるもの」である実感を、ただ静かに受け取っているだけになる。

 

あなたがそのレベルに達した時、あなたが直感している「それ」が、真実、本物となるのだ。

 

そして、まさにこれこそ、前述の通り、神の恩寵に直接関わる世界なのである。

 

もう、あなたには、既に全て理解できたのではないか。

 

頼もしい限りだ。

 

 

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(Maki)

P5 (共感)

・ これは、「問題を解決する」というプロセスでは無いということだ。常に遍満する絶対的完全性を理解し、見詰め、体感できている必要がある。

→ 全ての体験を掘り下げると、喜びに至る。そんな感覚があります。

必要なことが必ず起こり、それが自分にとっていいと感じることでも嫌な出来事だと感じることでも、自分に必要な体験であり、それは結果的に喜びに繋がっている。

その度にやはり自分は人生に愛されている。そんな感覚に至ることがあります。

 

 

(ババジ)

驚くほどに完成された、完璧な回答である。他に添えるべき言葉は、何も残されていない。

 

あなたは、人類の宝として生を受け、人類の宝として育てられ、磨かれ、、、そして、それがいよいよ花開こうとしている。

 

あなたという稀有な存在を、神仏天地は大いに喜び、祝福している。

 

この光溢れる真実を、あなたは全身全霊で、宇宙一杯に深呼吸できるだろうか。それが、あなたが生まれて来た目的であり、神があなたを通して体験したいことの全てだ。

 

 

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(Maki)

P7 (感想・疑問)

・ 「地球という試み」の最終章を迎えている今という時代に

→ 近年風の時代と呼ばれる時代に入り、ここに書かれている様な愛と調和に満ちた生き方を求める人が増えている様に思います。

最終章を迎えているということは、自然の流れである 「人類の意識の総和」が愛と調和に満ちたものになる時代が訪れようとしているということでしょうか?

私はまだ28年程しか生きていませんが、歴史上では長く戦争の時代があり、地球に住む沢山の人達が痛みを味わい尽くして、争いや支配という方法では何も変わらない事に気がついたのだと思います。

それは人間一人ひとりの人生にも同じことが見て取れるような気がしています。自分の内側で起こる体験事象に対し、争いや抵抗を繰り返しても何も変わらない事を「知っている」、争いの代わりに、自分の内側に「目を向け始める」そんな人が増えたように思うのは、海である社会と波である人が調和しながら少しずつ愛と調和に満ちた意識へとシフトしているからなのかと思っています。

 

 

(ババジ)

あなたが預け返してくれたこのメッセージは、とても美しいポエムであり、感銘する。そして深く感謝している。

 

同時に、これは、真実の半分であることを伝えなければならない。

 

確かに、人類史上空前のレベルで、「真実の響き」に共鳴を覚える人が増えており、その流れは爆発的とも言える勢いである。

 

しかし同時に、これは「物性側にあるエゴとマインド」が死守しようとする「自己の正当性」という爆発的な欲求に対して、危機的状況を与えていることも見落としてはいけない。

 

それは、最早、個人レベルのものではなく、人類が際限なく積み重ねて来た「人類規模の意識」であり、あたかも自ら意志を持って振る舞う非常に巨大で強力なものとなっている。

 

行き詰まりが極まっている人類に、愛を添え癒しを届けようと、この星に生まれることを選んだ勇敢な天使たちの多くも、いざ生まれてみたら、この星に既に積み上げられたカルマの重さに押し潰され、再び輪廻のサイクルに引き摺り込まれて来た。

 

彼らを救い出し、元々の愛と光の存在に復帰させることも、アヴァター達の重要な仕事なのだ。

 

それほどまでに、この想念は巨大で強力だ。

 

「それ」もまた、今、人類史上空前のレベルで、「全てを統合に向かわせる真なるもの」の息の根を止めようと大暴れである。

 

この二つの大きな流れが、どこでどの様に衝突するとしても、どうしても必要なのが、「聖者の道を歩む者」の存在なのだ。

 

それは、一人でも多いことが常に望まれているが、、、究極的には、たった一人で充分なのである。

 

問われているのは、「人類の意識の総和」を、「真実の愛と光」に振り返るために、唯一なる完全な意識から注がれる無限の愛と光を、全身全霊で迎え入れることを明確に宣言する「人類の意志の総和」である。

 

そして、それにまつわる全てを信頼し歓迎する「絶対的信頼」である。

 

「人類の意志の総和」をそのレベルのものと出来る、真の祈り人はどこからどの様に生まれてくるのか。それが問われているのだ。要求のない、愛と許しと信頼に満ちた「真実の祈り」、その突き抜けた祈りが、いつ人類の意識の総和に響き亘るだろうか。

 

常に降り注ぐ無限の自由の中、今、あなたは、何を選ぶだろう。

 

ここから先が、真実の始まりであることを、既にあなたは自覚している筈だ。

 

そのことを、心から喜び、心から祝福している。

 

この限りなく尊い対話は、今始まったばかりだが、もう、さほど長くは続かない勢いである。それ程までに、あなたは素晴らしい。

 

この密度濃い究極の対話を、どこまでも深く堪能しよう。

 

 

私はあなたという存在を遥か昔から愛して来た者

マハヴァター・ババジ

(2024年6月4日)

 

 

 

【Makiとババジのやり取り】 (2024年6月6日〜6月8日)

 

(Maki)

メッセージをありがとうございます。

今の自分の意識状態について知る事がきて、次のステップが見えてきました。

(P16)「物性側にあるエゴとマインド」が作り出す危機的状況の存在は知りつつも、そこに目を向けて生きていては日々を穏やかな気持ちで過ごす事ができないと思い、私は敢えて見ず日々目の前の幸せに集中する生き方を選んできました。

そのおかげで今は心地よい生き方をする事ができています。

神の恩寵を受け取り、そのすべての本源たる大いなるもので自己の全てを満たし「聖者の道を歩む者」になるためには、その危機的状況(地獄)に敢えて目をむけ生きる必要があるのでしょうか?

それともその事象の解決をするのは、その役割の方がいて、「聖者の道を歩む者」は「人類の意志の総和」を「真実の愛と光」に振り返るために注力する役割なのでしょうか?

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今の私には書いていただいていた「自己の拡大」がテーマだと思います。

“「自分と他人が別々に存在するという錯覚」で「唯一の完全な意識」が満ちているのみである。”

このことは、頭では理解できるのですが、感覚が伴っていないので本当に分かるというところにはいないのが現状です。

自己の拡大のため、真実の実感を生き、本源たる大いなるもので自己の全てを満たしたいと思いますが、「聖者の道を歩む者」と聞くと壮大で、俗世を離れて暮らすようなイメージがあり自分には程遠い気がしています。

もう少し理解を深める必要がありそうです。

よろしくお願いします。

 

 

(ババジ)

あなたが今向き合っているのは、マインドでは捉えきれない立体認識の領域だ。これより先は、一層マインドを鎮め、瞑想的にアプローチをして行く必要がある。

 

明鏡止水という言葉を知っているだろうか。心に一切波立ちの無い冴え渡った状態のことだ。

 

マインドが、意識の焦点を順々に追い掛けていくのではなく、すべてに同時に氣付いていながら、すべてを絶妙な等距離に放ったまま、ただ静かに認識している状態だ。

 

これには、「宇宙を展開させているイノチそれ自体」から内発する、波立ちの無い、静かで自然な呼吸が必要だ。

 

あなたには、その感覚が捉えられるだろう。

 

それでは、順番に進んで行こう。

 

あなたは、「敢えてそこを見ず、日々目の前の幸せに集中する生き方を選んできた」と言ったが、もちろん、それは決して間違いではない。永遠の生命が自覚され、今起きていることの本当の意味が見え、宇宙に遍満する絶対的完全性が実感されるまでは、むしろあなたのしてきた選択は、正しいと言える。

 

そして今あなたは、次の領域に進もうとしているのだ。

 

「「聖者の道を歩む者」になるには、危機的状況(地獄)に敢えて目をむけ生きる必要があるのか?」は、順番が逆である。起きている状況を、感情の波立ちの無いまま、ただ無評価にニュートラルに認識できるには、少なくとも「自分が無限にして永遠の光であり生命それ自体である」という真実の実感に目覚めている必要がある。

 

その時初めて、地獄かの様な状況の中でさえ、絶対的完全性が実感され、更にその背後に響き亘る「神としか呼び様のない大いなるものの無限の愛」に包まれ、魂の底から打ち震えるのだ。

 

そして、自ずと目の前の全てとその背後の全てに、止まることなく無限の愛という「意識の眼差し」が注がれて行く。その時、内側にも外側にも、愛、平安、光、共鳴、感謝、静寂、、、だけがどこまでも広がって行くのだ。

 

これこそが「聖者の道」である。

 

つまり、「聖者の道を歩む者」には、絶え間なく、あらゆる次元の全てのすべてへの淀みない愛が常に渾々と溢れるのみなのだ。少なくとも、その状態への断片的体験と、揺るぎない確信と、確かな歩みが実感されている、至福に満ちた道に在るのだ。

 

この「真実の実感」の為にこそ、太古からクリヤ・ヨーガが与えられ、今というこの時代に、万人に向けてその扉を開くべく、この「アートマ・クリヤ・ヨーガ」が与えられているのだ。

 

人は必ずこの「真実の実感」に向かっている。既に与えられている永遠の生命の中、いつその道に入るかだけの問題である。

 

体験事象とは実に壮大であり、この星だけでもなく、この次元だけでも、今生だけでもないのである。多くの場合、肉体を離れて最初に悟ることは、死なないというい事実だ。すなわち「自己の永遠性」にハタと氣付くのだ。

 

今という時代は、その真実の実感を、この次元を生きたまま思い出し、真なる領域にある無限の共鳴を、この現象世界でも響かせようとしているのだ。これこそが、「地球という試み」の真実である。

 

この無限の自由の中、あなたは何を選ぶだろう。

 

私は、はっきりと、あなたを「アートマ・クリヤ・ヨーガ」へと誘(いざな)っている。そして、このやり取りが、あなた自身の体験とその深まりへと連なっているのを識っている。

 

あなたが今まさにしている「真実の覚醒」へ至るこの体験は、この先、人類に爆発的な広がりをもたらすだろう。

 

アートマ・クリヤ・ヨーガが、太古のクリヤ・ヨーガと異なり、望む誰もが受け取れるのは、時代の要請に鑑み、私が次元の扉を幾つも開き、それを可能としたからである。

 

実践者の僅かなインテンションを受け取り、我々が本人の内側でクリヤ・ヨーガを行ない、それを本人に届けることを可能としたからだ。ここで言う我々とは、クリヤ・ヨーガを支援するアヴァター達のことである。

 

アートマ・クリヤ・ヨーガの講習会で扱われるレベルを既に超えている者もあるが、その存在が参加した場合も、必ずそれに相応しく特別な体験を与え、確実に次のステージに誘っている。

 

あなたがこれを選ぶなら、あなたもその一人だ。

 

誰しも必ず一人、神なる自己を実現するその瞬間に、その恩恵を与え立ち会う最終の師(サットグル)が存在するが、別の師を持つ者でも、アートマ・クリヤ・ヨーガはそれとバッティングしない。何故なら、我々(サットグル達)は一体だからだ。

 

そして、アートマを持たない存在はなく、アートマ・クリヤ・ヨーガは、そのアートマを貫いて、「唯一なる完全な意識」と再び一つになることを力強く支援するものだからだ。

 

これこそが、このクリヤ・ヨーガが「アートマ・クリヤ・ヨーガ」と呼ばれる理由だ。もちろん、グルの許可が必要な者は、それを得る必要があるが、本質的に何ともバッティングしないのが、このアートマ・クリヤ・ヨーガの特殊性であり、それは時代の要請でもあるのだ。

 

太古のクリヤ・ヨーガの伝授に相応しい最終段階のヨーギレベルの者が受講した時には、人類的インパクトを超え、宇宙的なインパクトが生じる。成熟した魂の参加ほど、常に望まれている。例えば、あなたの様に。

 

正に時を迎えている「準備レベルの高い者」ほど、最小限の情報で、必ず「ここ」に辿り着く。躊躇なく、最奥の純粋な発露に従えば良い。全ては私(たち)の計画の内にある。

 

 

最後に、あなたが持つ「聖者」への誤解を解いて、今回の問答の区切りとしよう。

 

あなたは、「聖者の道を歩む者は、世俗を離れて暮らすイメージがある」と言うが、それは、その存在が預かっている「大いなる必然」に依る。当然、この時代に次々に生まれつつある「聖者の道を歩む者」たちの大半は、「その意識状態」のまま、社会のど真ん中で生きるだろう。

 

「ヨーガ スタクル カルマーニ」という叡智の言葉を知っているだろうか。「常にまず第一に、大いなるものと一体となった状態で、全ての行為に在りなさい」という意味だ。「存在に立脚して行為せよ」というその「存在」こそが、神としか呼び様の無いこの「唯一なる完全な意識」のことである。「これ」こそが唯一の「実在」なのだ。

 

この時、あなたは、「海」とは「社会」のことではなく、この唯一なる「実在」のことであり、「波」とは「一個人」を超えて、この「宇宙と呼ばれる壮大な体験事象のすべて」だったと真に悟るだろう。

 

その状態で初めて、あなたは、あなた自身で在ることができ、また、あなたに預けられた天命を生きることができるのだ。

 

そして、人類は、遍く全ての存在がその状態で生き得る可能性に、今まさに邁進しているのである。

 

今こそ、あなたが、この真実の実感を生き始めなさい。

 

私は、今、強くそのことをあなたに伝えている。

 

あなたが既に自覚している通り、あなたには「先頭を行く者」の定めがあるのだから。

 

あなたは、このことを「壮大で程遠い」というが、いずれ間もなく、あなた自身が、この状態こそが最も自然でノーマルな状態だと実感しつつ、日々日常を生き始めるだろう。この大宇宙において、現代人以外のほぼすべての存在が、常にこの真実の響きで共鳴し合っている事実を実感しながら。

 

そして、この在り方は、この先、いよいよ本格的に全人類に広く分ち合われようとしているのだ。

 

最後にもう一度言おう。

あなたには、「先頭を行く者」という定めがあるのだ。

既にあなたが自覚している通り。

 

 

私は、あなたをこの真実の道に力強く誘(いざな)う者

マハヴァター・ババジ

(2024年6月8日)

 

 

 

 

【Makiとババジのやり取り】 (2024年6月10日〜6月11日)

 

(Maki)

一つ一つの疑問に対し、丁寧に御解答いただきありがとうございます。

全て分かりました。

いただいたメッセージを何度も読み返し、この頭と感覚で理解したことを、講習会を通して存在レベルで実感したいと思います。

そして自分に預けられた天命を生き始めたいと思います。

いただいたメッセージに対しての追加の質問はありません。

このような機会をいただきありがとうございます。

 

 

(ババジ)

あなたの素晴らしさは、言葉を遙かに超えているが、敢えて今、言葉を添えて、あなたの新生を祝福しよう。

 

あなた自身がはっきりと言葉にした通り、あなたは全てをはっきりと分かっている。あなたがこれまでどこかで捉えていた「真なるもの」を、今あなたは、はっきりと認識するに至ったのだ。

 

あなたが一瞬で駆け抜けたこの覚醒のプロセスを、これから人類も着実に辿っていくことになる。

 

その過程で、あなたの周りには、あなたが識り得た真実を、あなたと同様に識り、深い共鳴を確認しながら共に働ける者達が集まってくるだろう。

 

彼らが、今どんな現在地に居り、何を切っ掛けにどの様にシフトして合流してくるのかも、あなたには既に見えている。あなたは、無数の可能性の束を、束のまま大きく受け取りつつも、今という瞬間に浮かび上がる「必然」を逃さず拾うことができる。

 

あなたは、経営者と生まれついているのだ。

 

人生経営、グループ経営、コミュニティー経営は、そのまま地球経営へと繋がっている。大いなるイノチの流れをそのまま辿る力を預かっているのだ。

 

あなたは、それを存分に発揮するだろう。

 

ここでこの様に生まれたこのメッセージ集、対話集も、あなたの働きに自在に活用したら良い。同時に、これは多くの同じ道に在る者達も同様に活かすことになるだろう。

 

あなたが既に果たした功績は、余りにも大きい。そのことにも感謝している。

 

 

ここでひとつ、この道にある者達が再確認しておくべきことを共有しよう。

 

物性の側にあるエゴとそれに基づくマインドは、有限な自己の正当性を激しく主張する。最も強くは、圧倒的優位性を手に入れたがる。

 

その時に常に使う必殺技?は、いつも「得たい心」と「失う恐怖」を刺激することだ。

 

自己が「有限」で「個別」だと信じているが故に、このことが万能だと信じている。

 

 

しかし、人類が、自らが「永遠の光であり生命そのものである」ことを思い出すほど、彼らが「巧妙に仕掛けたシステム」が、全く機能しないものとなって行く。

 

そして、すべてが丸見えの丸裸になって行く様は、あたかも実写版の「裸の王様」の様だ。

 

 

彼らは、最終的には「命を奪う」というフィクションを実行しようとするが、「永遠の生命」は、もとより永遠であり、何一つ損なわれるものが無いことを既に識っている。

 

だからこそ、常に泰然として、愛そのもので在ることができるのだ。

 

 

たとえ銃口を向けられても、

 

「あなたが奪おうとしているのは、衣服に過ぎない。命とは永遠なのだよ。

 

もしあなたが私をこの肉体から引き離したとしたら、私は、必ずあなたにも分かる形で、命が永遠であることをあなたにも伝えよう。

 

そのことは、いつでもできるのだから、今というこの機会に、あなた自身が真に望むものを見詰めてみようじゃないか。」

 

と導く懐さえ自然に生まれる。

 

 

このカーボンベースの肉体を離れた者は、基本的には物性チャンネルに「一線を超えて」関与することは許されていない。

 

しかし、「この様な特別深い縁」が生じれば、当然、特別な関与が許される。その規模が、一対一を超えて大きなものとなれば、許される関与もその分大きなものとなる。

 

メッセージの中で、

 

「それ」は自己の存続を懸けて、もの凄い勢いで襲いかかってくるが、あなたがそのすべてを死ぬほど愛することは容易い。何故なら、その時こそ、すべてが愛に振り替わる「必然」が生じようとしている瞬間だからだ。

 

と伝えたのは、このことである。

 

しかし、往々にして、この様な無限の懐の前では、地獄の魔物さえ道を譲る。無事貴人とは、見事な表現である。

 

既に、あなたが深く理解している通りである。

 

 

もう、あなたは、人類の神実現が、どれほど確かに約束されているかを識っている。

 

そして、そのことがどの様に分ち合われて行くのか、その道筋さえ見えている。

 

 

あなたという存在を、神仏天地は大いに喜び、限りない祝福を添えている。

 

すべての存在が、全く同様にそうであることを、あなたは力強く分ち合って行くだろう。

 

その道のあらゆる瞬間に、常に私も共に在ることを伝えておこう。

 

 

今日というこの日は、あなたの真の誕生日である。

 

この次元の誕生を体験した者は、この先、あらゆる瞬間が新生の機会であり、永遠に誕生の祝賀の中を生きるのである。

 

心からの祝福を送ろう。

 

そして、その存在に、心から感謝している。

 

愛する友よ。共にこの黄金の瞬間を歩んでいこう。

 

 

今ここに、太陽よりも眩しい閃光と共に、あっと言う間に駆け抜けたこの珠玉の対話を、永遠の共鳴の内に静かに納めよう。

 

おめでとう。

 

ありがとう。

 

心から。

 

 

あなたを永遠に愛する者

 

マハヴァター・ババジ

 

2024年6月11日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

* 「アートマ・クリヤ・ヨーガ」は、バクティ・マルガの講習会であり、受講者が伝授後に日々実践するクリヤ・ヨーガである

 

* 「バクティ・マルガ」は、マハヴァター・ババジの直弟子、世界的聖者パラマハンサ・ヴィシュワナンダが創始した、ドイツに本部のある国際的奉仕団体

 

* ババジのメッセージを記した者は、与えられた「選択の自由」の中、「あり得る問い合わせに対応すること」より、「メッセージ自体が携える大いなる必然に委ねること」を選んだ

 

* このメッセージと対話は、既に人類の財産であり、準備のできている者達に自在に分かち合われて行き、この内容はやがて人類の常識になる

 

 

神として

神なる宇宙へ

神なるOMを放ちなさい

 

あなたがそれを選ぶなら

人類の神実現は約束しよう

マハヴァター・ババジ

 

質問者:Maki(人類代表)

記録者:鶴飼哲也(影であると同時に、問い合わせに対応する役もある。。。)
つるかいてつや
Tezya Tsrukai
Tetsuya Tsurukai
鶴飼哲也