祝之神事とは、長い歴史の中で、天皇陛下ただお一人のために、毎日密かに執り行われてきた、神力に満ち満ちた御神事です。天皇陛下となられる存在が、祈りの力によって天下太平を実現する神人としてのお役を実現するために、天地の必然によって注がれて来た御神事と言えるでしょう。。。

 

この地球人類には、まだ精神的な未熟さがあり、「思い通り」を良しとする傲慢さがあります。神仏天地、すべてのイノチある動植物や存在物、、、それらすべてが、たった一つとして共鳴している、この大いなるイノチの完全な整いに、耳を澄ませ、意識を澄ませ、献身したいという、イノチあるものの最も基本的で自然な発露が、まだまだ乏しいという未熟さを、私たち人類は、まだまだ抱えています。。。

 

人類個々人の「思い通り」は、極まれば「支配欲」に繋がり、、、それが強大な勢力として結晶しています。そんな勢力が、この日本に脈々と継がれてきたこの神事の無限力を恐れ、その断絶を試みる緻密で熱心な企てを遂行したとしても、、、何ら不思議はありません。

 

そんな時代の必然に押され、、、これまで長年月秘されてきた祝之神事が、、、私たちの様な一般人であっても、、、その人が、愛や調和や祈りに、自分の存在や人生を捧げたいという祈りが発露し、、、神縁を与えられた時、、、その機会を授かる道が開かれたのは、左程昔の話ではありません。

 

祝之神事やそれを預かってきた系統については、随分以前から折に触れ耳にしましたが、その流れや中心者は複数存在します。そんな方々が書かれた文章や語る動画を見たことはありましたが、、、その数少ない経験の中では、完全な共鳴を感じたことはありませんでした。

 

令和二年八月に天縁授かったそのお方は、、、力や働きや現象の整いや奇跡などを思わず、語らず、、、ただただ朗らかで、謙虚で、清々しい。。。彼を知る人が皆、彼を親友の様に愛するのは、彼が、神仏天地、師、ご縁の人々やすべてを、、、たった一つの大いなる一つとして、愛して止まないからでしょう。。。

 

そして、彼と同じ境地に立った時、、、彼がどれほど命懸けであったかを識り、、、きっと大いに驚くのでしょう。。。

 

彼のお名前と会の名は、ここで明かすことはできません。まだ人類には未成熟な感情があり、その影響力が、自分や相手にどれ程大きく跳ね返っているかを自覚していません。そのリスクから、彼は、ご縁の人たちを守る責任があるからです。

 

しかし、この記事をご覧になって、魂の必然を自覚された方は、ご遠慮無くお問い合せください。

 

お問い合わせの後、当方とのやりとりの中で確かなご縁を確認し合えたら、祝之神事主宰の方にお繋ぎ致します。

 

具体的には、以下のプロセスを踏んでいただきます。

 

①当方とメールでやり取りをし、真剣な参加の意志が深まった場合、
②お電話や、Zoomでの会話をします。そこで共鳴が深まり、流れが生じた場合、
③直接お会いし、確かなご縁をお互いに確認し合えたら、当方からのご紹介として祝之神事主宰の方にお繋ぎします。

お問い合せは、こちらから。)

 

現在、祝之神事を受けるには、過去に参加したことがある人からの直接のご縁、ご紹介が必要なため、このようなプロセスを設けております。

 

この様な尊いご縁を結ぶ機会を授かり、すべてのすべてに感謝しています。

 

以下に、彼の参加者へのメッセージを転載しています。最新の参加要項と併せて、その素晴らしい響きを、ぜひご堪能ください。

 

合掌 九拝
ありがとうございます。

Sarva Dharma Centre NOW

 

/////

(Hさんのニュースレター、参加者へのメッセージより)

ご神事にお申し込みいただいた皆さまへ
◆ご神事の目的を、改めて申し上げますと
ご神事のときに、参加者にご縁のある神さまがお出ましになられたり、その方へのメッセージをくださったりしますが、これがご神事の、本来の目的ではありません。
我々は、この世に生まれて今までだけではなく、いくつもの過去生の間に、造りに造り、積み重ねた、カルマを背負っています。
このカルマには、正と負の両方がありますが、我々を襲う災いや不運、不幸は、負のカルマがもっとも深く影響しています。
この負のカルマを、祓所(はらえどころ)におわします神々に、「体の中にお入りいただいて」祓い清めていただく、すなわち、消滅していただくのが、ご神事の目的です。
そして、この祓い清めを繰り返して受けていただくことで、やがて、人によって遅速はありますが、自分の「魂の故郷」に到達します。
これが、目覚め(覚醒)です。
覚醒したときに、我々は一人残らず、「生まれながらにして神であった」ことが、明らかになります。

この覚醒体験以降は、日常生活を「神として生きる」ことになり、これを「神(かむ、かん)ながら」と呼びます。

さて、今月○日の御神事の会場をお知らせします。(後略)

 

/////

(ある日のニュースレターより)

(令和三年六月号)

《 真実の自己とは? 》
「心こそ心惑わす心なれ。心に心、心許すな」
これは江戸時代前期の名僧として名高い沢庵禅師(たくあんぜんじ)のお言葉です。
ここに言う「心」とは、我々が普段、「私自身」だと思っている私のことですが、これこそがエゴ(自我)の正体です。
この心を仏教では「意馬心猿(いばしんえん)」と呼んでいるとおり、馬のように急に駆け出したかと思うと突然止まり、猿のようにあちらこちらを、うろうろ、きょろきょろと騒々しく、絶える間がありません。
我々は、このような心に振り回され、ときには誤った方向へと導かれ、思わぬ苦労やトラブル等を招いたりしてしまいます。
実に恐るべきは、己の心なのです!
このようなことを避け、この世に安住するには、どうしても一度は「真実の自己」にお目にかからねばなりません!
「真実の自己」とは、すなわち「生まれながらにして神である自己」のことなのです。
それは、覚醒(悟り)によって初めて明らかになります。
(令和二年十二月号)

《 ついに全開! 》

去る11月11日、天岩戸が完全に開かれて、待ちに待った精神の時代(私は神代の時代と呼んでいます)の幕開けです!

今後、物質偏重の時代は、急速に終わりを告げることになりますが、それとともに、我々は、大きな最後の試練の時を迎えることになるでしょう。

しかし、「何があっても大丈夫!」という世界があるのです。

そこは、いつでも、どんなときも、我々から片時も離れず、一瞬も休むことなく、与えどおしに与えてくださっている、大いなる存在(それを人は、内なる神と呼んだりします)の世界です。

その世界は、我々の普段の意識状態では、見ることも、聞くことも、知ることもできません。

では、何によってその世界を見出すことができるのでしょうか?

それは、ただ、ただ我が身を神に委ね尽くして、我が神か、神が我か、その境界が消えて一体となったときに、こつ然と姿を現します!

これを目覚め(覚醒)と呼んだりしますが、祝の神事(はふりのしんじ)の目的は、実にここにあります。

今、天岩戸が開かれ、誰もが容易に覚醒できる準備が整っています! 共に、大安心の世界を見てみましょう!

/////

大いなる必然を自覚された方は、こちらから、ご遠慮なくお問い合せください。

ありがとうございます。
ありがとうございます。
合掌 九拝