2019年

[11月27日(水)]

あることを切っ掛けに、月に1、2度、ある教団の橿原道場を訪れている。
5回目のこの日も、私は、道場長H氏と時間を共有した。
次第に友情が芽生え、深まりつつある。

切っ掛けは、2019年5月29日、友人Nさんの朗読奉納だ。正に天命、神事のような素晴らしいものだった。
その時右隣に座ったFさんが、9月4日、Nさんとここを訪れた。
そこで電流の様なエネルギー交換を体験し、互いの突き抜けた純粋性を確認した。

以降、彼女のオファーは、当然に受けるべき自然なものとなった。

後日、私の企画書に感激したFさんから、電話があった。
「道場長にお読み頂いた。ぜひ会っていただきたい。」と。
直ぐに調整し、橿原に行った。

しかし、彼は読んでいなかった。
当時、彼には、「授けるべきもの」こそがあり、企画書は、「読むべきもの」ではなかったのだ。

そこからの始まりである。

5回目のこの日、どんなことも、真っ直ぐに訊け、真っ直ぐに分かち合えた。

・なぜこの道に入ったのか
・大いなる存在との交流は許されているのか
・組織のルールと与えられた採択権について
・もし、自分にも天啓があったら、どう選択するか
・『人類の共同宣言』にある流れは、必然と思うか
・この人類規模の潮流を、教団も共に紡いでいく可能性はあると思うか
など

そこにある互いの覚悟とリスペクトは、実に心地良いものだった。

この交流は、どこへ紡がれていくのか。

大いなる響きと共に、丁寧に辿って行く。
祈りと共に、祈りと共に。。。

この教団について、分かち合うべきことが幾つかある。
(今後も頻繁に出てくるはずなので、教団S、または、Sと呼ぼう。)

Fさんご夫妻の先導で、初めて橿原道場を訪れた時の驚きは、実に清々しく、幸せなものだった。

それは、オープンハートの人の多さである。
多くの宗教団体にありがちな「計る」眼差しではなく、健全で明るい「I love you!」が、多くの人の表情、眼差し、波動からダイレクトに届いてきたのだ。

教団S全体がどうかは、まだ私には分からないが、少なくとも、この橿原道場を満たしている健全な波動は、本物である。

2度目に道場長H氏に会った時に、そのことを伝えた。
彼は、「私が数年前ここに赴任した時、同じ驚きを覚えた。それを共有でき、嬉しい。だが、まだ、その理由が分からない。」とシェアしてくれた。やはり、この道場は、何かが特別なのだろう。

また、4度目の訪問で体験した月並際は、実に素晴らしかった。私も、心から楽しんだ。
毎月一度、縁ある皆が集う祭りだ。

互いに、その日の参拝を大いなる存在に許されたことを喜び合い、互いに「おめでとうございます」と祝い合う。
毎月のこのお祭りを、本当に大切にし、心から愛し、その喜びを心から分かち合っていることに感心した。
実に素晴らしかった。

私も、大いなる存在に許され、導かれるなら、今後もこの月並際には参加したい。
次回は、12月1日だ。とても楽しみにしている。