令和三年元日のニュースレターは、こんな言葉で始まりました。
「明けましておめでとうございます。いよいよ、今年は、真なる領域が花開く、「幕開け」の年となります。必然として、最奥の光を遮る全てが露わになり、弾けて消えて行きます。強い光の、強い愛であり、、、受け尽くす肚が要るのです。」
その時に朧氣に湧いたイメージを遙かに超える偉大な一年となりました。
相対事象の分離意識を離れ、神独在の絶対的完全性に棲む体現者達と、一元の祈りを捧げる日々が与えられているこの奇跡に、ただただ合掌するばかりです。
その令和三年も、間もなく終り、新たな一年を迎えようとしています。
この節目に分ち合われるべきことは無数にあれど、自ずと「最も重要な一つ」に絞られます。
それは、
「神として生きる」
これに尽きます。
分離意識の残る相対事象の部分神ではなく、神としか呼びようのない「たった一つの完全なる意識・宇宙大生命」として生きる、ということです。
象の鼻も、象という一つのイノチとして在るからこそです。鼻だけが切り離されれば、そこに生命活動はありません。
私たちの手脚や目や耳も同様です。
同じように、私たちは、本源から切れたバラバラな存在では無く、たった一つの大いなるイノチであり、それと一体であるからこその存在です。そこに真の「生命活動」が展開しているのです。
これは、概念でも信念でも無く、余りに明瞭な真実であり、それは必ず実感できます。
私たちは紛れもなく、永遠の生命それ自体なのです。
その実感に至った時、魂の第1ステージは終わります。
恐れも不安も、批判も分離も自他も消え、、、
大いなる一つイノチの絶対的完全性が、あらゆる瞬間に無限の輝きをもたらすのです。
実は、その実感からが、真の「人(霊止)ひと」としての真のスタートです。
人類は、その大多数が、驚くほど急速に、この真実の実感を取り戻して行くでしょう。
明日からの令和四年は、そのことが、はっきりと目に見えて顕われ出始める年となるでしょう。
私たちは、嘗て無いほど偉大な日々を与えられ、その一瞬一瞬に立ち会っています。
この大いなる必然を全身全霊で受け尽くす、そんな一年と致しましょう。
今しているこの一呼吸、今抱くこの一つの考えや感情が、、、
そして何より、今捧げるこの真実の祈りが、人類共通の意識領域に直接作用していることを識りながら。。。
ご縁に感謝しています。
存在とお働きに感謝しています。
いつもありがとうございます。
合掌
令和三年十二月三十一日
Sarva Dharma Centre NOW
共同代表 鶴飼哲也、馬渕貴子
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