なぜ、そんなミラクルが起き、過剰とも思われる恩恵が与えられているのか。「時代の要請」がその理由であることは、明らかだ。
人類は、日常のあらゆる瞬間に、深く氣付く機会を与えられている。宇宙の法則自体が、常にそれを可能にしている。にも拘らず、私たちは余りにも当然に、そのチャンスを受け損なっている。少なくとも、これまでの歴史を見れば、「人類の総和」としては、その通りと言わざるを得ない。
そして、我々人類の選択から来る当然の結末は、このまま行けば、かなり過酷なものとなるだろう。あり得る最も過酷な結末の中でさえ、揺るぎなく愛で在れる人、至福の中に在れる人は、今の時点でどれほど存在しているだろう。極僅かなのは明らかだ。
これこそが、「時代の要請」の中身だ。
神なる愛は、我々人類を、どうにか美しく導こうとしている。しかし、何より尊重されるのが、自由意志である。その自由意思は、我々自身を、どこに導こうとしているのか・・・。人類の選択と宇宙の法則に委ねられた旅は、どこに向かっているのか・・・。
アートマ・クリヤ・ヨーガは、こんな時代に与えられた、最大の切り札と言える。過剰とも思われる恩恵の背後には、時代の要請があるのだ。
このサーダナに、意志さえ持って臨むなら、後のすべては与えよう・・・
「Intention counts.」「意思は尊重される」
この背後にある無限の愛と、絶大な神力に、ただただ感謝の祈りを捧げる。
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◆ 至高の目的
◆ 時代の要請
◆ 師との出会い
◆ ここまでの道のり(幼少から高3:流される人生の終わり)
◆ ここまでの道のり(高3から30歳:訓練期間)
◆ ここまでの道のり(30歳から:チューニング通りの日々)