(鶴飼哲也)

 高校3年の5月、私は、家族の縁で、社会人を対象としたあるセミナーに参加した。そして、あるセッションの中で、思いがけず霊的体験をした。それは、そのセミナーの趣旨とは全く異なるものだったが、私には必然だった。

 

セッションの中で、同じ参加者のある男性と目を合わせた瞬間にそれは起きた。一切疑いのない、信頼し切った彼の眼差しに、自分の中に在る疑いや否定が浮き彫りになり、露わになった瞬間、弾けて消えて行った。その一瞬の中、その原因が、過去生と、その追体験である幼少期の(不完全な)体験にあり、人が輪廻する理由は、この積み残しの宿題をクリアし、不完全だった体験を完成させ、純粋な自己に回帰するためと知った。

 

その一瞬は、大きな衝撃であったが、自分に起きた体験が真実であることは分かった。心も身体もひ弱だった私は、その体験を支えられず、大いに泣いた。以降、地方の大学に行くまで、関連するセミナーを、片っ端から受けさせてもらった。コミュニケーション、思考の観察、行動によるブレイクスルー、瞑想、呼吸法、ヨーガ、ボディーワーク、キネシオロジーなどなど、いずれも本格的で、奥の深いものだった。

 

再びセミナーを受け始めたのは、大学3年の時だ。友人や後輩が、私の話を聞き、自分もそれらのセミナーを受けたいと言い始めたのが切っ掛けだ。そして、そのまま、そのセミナー会社に就職した。エリアマネージャーやセンター長など、分不相応な仕事を与えられつつ、大きなサポートの中、多くを体験させてもらい、多くを学んだ。

 

自分の中に深く潜在し、しぶとく巣食っていた自己否定と言う闇を思い知り、沢山のサポートの中、精一杯もがき、精一杯越えて行ったのも、20代のこの時期である。

 

その流れの中で、私は、ある事件に関与したとの容疑で逮捕され、取り調べも受けた。海外出張中だった私は、同僚からの知らせで、自分に容疑が掛けられていることを知り、事実を伝えるために出頭する途中、空港で逮捕された。後ろ暗いことは何もなかったので、全く冷静だった。そして、すべてをありのままに話した。

 

取り調べが進む中、担当の刑事さんや検察の方とは、あるレベル以上の、人間同士の信頼関係の様なものさえ感じた。取り調べの結果、私の嫌疑は晴れ、釈放された。後に母から聞いた話だが、釈放の通知の際、担当の刑事さんは、「鶴飼君は、人間として当然のことをしただけですから、全く問題ありません。ご安心ください。」と言ってくださったそうだ。伝わるべきが伝わったのを感じ、感謝した。

 

事件は大きく報道され、その後の裁判も長く続いたようだ。今も完全に解決したのかどうか、私には分からない。2001年以来、彼らと活動を共にしていないからだ。その流れは必然であり、その神秘性には感慨すら覚えるが、ここでは別の機会に譲ろう。

 

ただ一つ言えるのは、わたしが7年ほど活動を共にしたそのコミュニティは、報道で伝えられるような恐ろしげなものではなく、善意と家族的一体感のある、明るく健全な空気に満ちていた、ということだ。ある同僚を取り調べた検察官も、大いにイラつきながら、「お前たちなんか、カルトでも何でもないわ!あだ名で呼び合いやがって!」と怒鳴ったことがあったそうだ。その話は、今思い出しても、ニッコリとしてしまう。

 

どんな立場の誰であれ、全ての人が、通るところを通り、本質に回帰しているのなら、とても素晴らしい。常にそうであることを感謝している。常にそうであるよう祈っている。

 

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◆ 時代の要請

◆ 師との出会い

◆ ここまでの道のり(幼少から高3:流される人生の終わり)

◆ ここまでの道のり(高3から30歳:訓練期間)

◆ ここまでの道のり(30歳から:チューニング通りの日々)

◆ 「NOW」という生き物

◆ 『人類の共同宣言』(2019年11月15日)