至高の目的(鶴飼哲也)

※ この文章は、『人類の共同宣言』が書き上がる2019年11月15日で、ひとまずの終りとなる。それまでの間に、沢山の導きや氣付きがあり、書き始め当初の感覚と大きく変わったものも多い。だが、当初のものは当初のものとして、そのまま残し、その変遷を記しつつ、加筆する場合は、括弧内に色を変えて添えることとしよう。


<イントロダクション>
(2018.12.1~)

 

私には、師がいる。揺るぎなく確かな師に出会えたことは、間違いなく最大の恩恵である。以降のすべての恩恵が約束されたのだから。何より、いついかなる時も、常に、胸いっぱいに、愛と感謝、喜びと平安が、はち切れんばかりに溢れてくることは、師との出会いによってもたらされた奇跡である。身に余る贈り物だ。

 

師の導きは、常に私の感覚を超越している。

 

ある日、私は今生の最大の仕事を知った。それは、魂の希求として、内側から立ち昇った。きっと、これ以上の奉仕は存在しない。それは、人類の至宝たる『アートマ・クリヤ・ヨーガ』を人々に紹介し、その人が生涯の内にその精髄に至る様、全てを捧げることである。(というより、神なる自己の実現、神なる愛の実現こそが全てである、と深く実感し、それこそが全てであると、はっきりと感得したのだ。それが実現するなら、何だって良い。「それに真っ直ぐに臨めば、誰であれ100%実現する」、と断言できるもの、確かな体感があるものは、極々限られているだろうが、アートマ・クリヤ・ヨーガは、まさに「それ」だ。)

とはいえ、私にアートマ・クリヤ・ヨーガ・ティーチャーの役割はなく、私が直接教えることはない。ただ、伝え、共に深め、共に至るのみである。(他の導きにある人も、神実現の道を真っ直ぐに進む人は、同志だと感じている。胸が熱くなる。)

 

 

当初私は、ご縁のある一人でも多くの人に伝えるものと思い、その為の最善の道を知るべく意識を集中していた。ところが、朧げにあったイメージとは全く違う道を示されたのだ。

 

師は私に、「既に弟子を持つスピリチュアルリーダーにこそ、アートマ・クリヤ・ヨーガを伝えなさい」とおっしゃった。(今なら、その意味がはっきりと分かる。どれほど素晴らしいものに出会っていても、それに向き合う向き合い方こそが大切だからだ。魂の最奥から、全存在で向き合うのはもちろん、そこに純粋な愛の限りが自然に注がれてこそ、そのものは初めて真の輝きを顕す。アートマ・クリヤ・ヨーガは、神との完全な愛の交流を通して、完全な神との合一、即ち、神実現に至る道である。そこへの純粋な希求は、、、全てを捧げて与える対象があってこそ、自然に生じる。既に弟子を持つスピリチュアルリーダーこそは、魂の底から神実現を望んでいるはずだ。どこまでもどこまでも、真なるものを与え得る本物、、、即ち神なる愛、神そのものでありたいものだ。神実現への純粋な希求は、必ずそこにある。そんな謙虚で美しい、本物のスピリチュアルリーダーに出会えたら、本当に素晴らしい。)

 

世界的名著『あるヨギの自叙伝(パラマハンサ・ヨガナンダ著/森北出版)』の愛読者なら、クリヤ・ヨーガの深遠な世界を理解できるだろうが、クリヤ・ヨーガは、本来、密教性が極めて高く、その正統な伝授を受けられるのは、準備のできた極限られた人たちのみだった。

 

後に紹介する二人の聖者が、意志ある全ての人にこの密教性を解除したのが、「アートマ・クリヤ・ヨーガ」である。

 

この宇宙に存在するのは、たった一つの偉大なる生命であり、それのみである。実在、静寂、空間、叡智、至福・・・この、神としか呼びようのない偉大なる生命こそが、私たちの本体であり、すべてのすべてである。人がこの実在に完全に回帰することを、神実現と呼ぶ。アートマ・クリヤ・ヨーガは、最も安全に、最も確実に、そして、誠実に愛と喜びをもって向かえば、最もスムーズに神実現に至る、人類の至宝である。

 

実は、この「アートマ・クリヤ・ヨーガ」には、複数の偉大な約束が隠されている。それらの約束こそが、このアートマ・クリヤ・ヨーガの偉大性を支えている。

 

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◆ 至高の目的

◆ アートマ・クリヤ・ヨーガの精髄

◆ 時代の要請

◆ 師との出会い

◆ ここまでの道のり(幼少から高3:流される人生の終わり)

◆ ここまでの道のり(高3から30歳:訓練期間)

◆ ここまでの道のり(30歳から:チューニング通りの日々)

◆ 「NOW」という生き物

◆ 『人類の共同宣言』(2019年11月15日)