(鶴飼哲也)
アートマ・クリヤ・ヨーガの目的は、真の自己への完全なる回帰。真の自己とは、驚くなかれ、神そのものである。「自分らしい自分」という限られたものではなく、完全なる、絶対なる無限そのものだ。その真の自己実現を、神実現と呼ぶ。アートマ・クリヤ・ヨーガの目的は、この神実現であり、それはイコール、神なる愛・叡智・歓喜・静寂・至福の実現である。
アートマ・クリヤ・ヨーガは、誰もが行うことが出来る、実にシンプルで美しい、十数種類のサーダナで構成されている。(サーダナとは、霊的成長のための修行や各行法のこと)私は、この「アートマ・クリヤ・ヨーガ」という響きを聞いた瞬間、「あぁ、これをやるのだな、今こそ、これが与えられたのだな」と実感した。そして、縁ある同志を集め、講師を招いて、講習会を開いてもらった。
サーダナをやり始めて、直ぐに分かったことは、いずれのサーダナも、神それ自体、この宇宙という偉大なる生命そのもの、その活動と息づかいがそのまま表現されている、ということである。「神実現を目的とした行法」を超えて、サーダナそれ自体が神そのものなのだ。そして、サーダナの具体的な行ない方について何らかの疑問を持つと、このヨーガの生みの親である二人のヨーギ、スワミ・ヴィシュワナンダとマハヴァター・ババジのいずれか、またはお二人が、間髪を入れず、必ず答えを示してくださる、ということにも静かな驚きを覚えた。
しかし、アートマ・クリヤ・ヨーガについて最も驚くべきことは、行っている本人の実感や認識にかかわらず、その人が真摯に行っている限りにおいて、その効果、恩寵が、確実に本人に手渡されているという事実である。これは、大いなる奇跡である。二人の偉大なるヨーギの、大いなる約束なのだ。
愛溢れる存在の、大きなエネルギーのサポートが常に降り注いでいることは、体験すれば、必ず分かる。実感の在る人は多い。実感がなくとも、喜んで行えている人は幸せである。そうでない人も、根氣よく行っていれば、必ず、必要な時に、必要な体験が与えられる。何より大きな体験は、事も無げに自然に起きる内的変容である。信頼し、喜んで、真摯に、一切の期待を持たずに、純粋に行うのが肝要だ。いずれの場合も、恩恵は常に100%与えられていることは、紛れもない真実だ。
これこそが、アートマ・クリヤ・ヨーガのすべてと言っても、過言ではない。
パートナーの馬渕貴子がまとめたリーフレットが、実に素晴らしい。また、2018年12月に愛知一宮で行われたトークイベントの内容も、ここで分かち合うべき、素晴らしいものだ。この二つを、ここで共有したい。
『アートマ・クリヤ・ヨーガの核心』 (ver. 2019-01-08).pdf (0.24MB)
人類の至宝 『 アートマ・クリヤ・ヨーガ 』
※ アートマ・クリヤ・ヨーガのページは、こちらをご覧ください。
実は、更にもう一点、大いなる約束が隠されている。それは、神実現の瞬間における約束である。
解脱やそれに伴う魂の解放までは、人間の行によって到達可能と言われている。しかし、それと神実現とは、全くの別の次元である。神実現は、神の恩恵次第であり、それなくして、決して実現し得ない特別な領域だ。アートマ・クリヤ・ヨーガの伝授者であるスワミ・ヴィシュワナンダは、はっきりとそう明言している。
また一方で、アートマ・クリヤ・ヨーガに純粋に向き合っていれば、必ず神実現に至る、とも明言している。
即ち、神実現に至る最後の瞬間に必ずなくてはならない「神の恩恵」こそは、神の化身たる彼らの、大いなる契約、絶対なる約束なのである。
その無限の愛と祈りの激しさに、問答無用に打ち抜かれる。言葉を失い、ただただ合掌礼拝するのみである。
⇒ 次のページ : 時代の要請
◆ 至高の目的
◆ 時代の要請
◆ 師との出会い
◆ ここまでの道のり(幼少から高3:流される人生の終わり)
◆ ここまでの道のり(高3から30歳:訓練期間)
◆ ここまでの道のり(30歳から:チューニング通りの日々)