(鶴飼哲也)

 

記憶に残る最も古い霊的体験は、今生に限れば、3歳の時である。父の転勤のため5歳直前までニューヨークで育った私は、その日も、天井の高いマンションのリビングの絨毯で、いつもと同じく遊んでいた。そして、何の脈絡もなく、ふと、ただ神の臨在を感じた。その確かな存在感に、妙に納得し、やっぱりそうなんだね、と心に呟いて、そのまま遊びを続けたのを覚えている。

 

帰国を前後して母が奇病に罹り、その治療法を探しあぐねた結果、祖母のご縁を辿り、五井昌久先生と言う素晴らしい聖者に行き着いた。母は、お陰様で身体を治してもらい、その後のダルマ(今生することになっている義務、役割)に備えることが出来た。5歳の時だ。

 

不思議と、五井先生の記憶はあまり鮮明ではないが、彼の道場の空気感は、よく覚えている。苦しむ人たちの余りに大きく重たい波動と、それを光に振替えようとする先生やお弟子さんたちの切なる祈り、そのせめぎ合いに、言いようのない息苦しさを感じていた。しかし、彼の提唱した世界平和の祈りには、初めて聞いたその瞬間から、無限の光と真実の響きを感じ、その時以来、いつでもどこでも手を合わせれば欠かさず祈っていた。

 

私は、過去生も含め、霊的人生、霊的体験は多い方だったかもしれない。しかし、それとは裏腹に、現象界に躓き、大いにバランスを失っていた。社会への漠然とした怒りの強さとは不釣り合いな、強い自己不信、自己否定、虚弱・・・今生は、心も身体も大層弱かった。人自体はとても好きなのに、決して心を開けない自分にも苦しんでいた。本番にも弱く、実力を発揮できない日々に、将来への絶望も感じていた。

 

すべては、過去生のカルマ、積み残しの宿題の集大成だと知ったのは、高校3年の時だった。

 

⇒ 次のページ :  ここまでの道のり(高3から30歳:訓練期間)

 

◆ 至高の目的

◆ アートマ・クリヤ・ヨーガの精髄

◆ 時代の要請

◆ 師との出会い

◆ ここまでの道のり(幼少から高3:流される人生の終わり)

◆ ここまでの道のり(高3から30歳:訓練期間)

◆ ここまでの道のり(30歳から:チューニング通りの日々)

◆ 「NOW」という生き物

◆ 『人類の共同宣言』(2019年11月15日)